月
SI外の暦の単位 · 量:時間
日本語では説明の要らない話である。「月」の一字が空の月でもあり暦の月でもある。一月と満月で同じ字を書く。中国語も同じ 月 の字を使い、トルコ語の ay、フィンランド語の kuu も一語で両方を指す。西の言葉では結びつきが表面に残っている。英語の month と moon、ドイツ語の Monat と Mond、ロシア語は двух の意味に一語を当てる。それでもどこでも、この共通の語の背後には今や別々の二つのものが立っている。29.53 日の天文学上の月と、とうに空を見上げなくなった暦の月である。
01 · 定義
月とは、月の満ち欠けの一巡りにほぼ等しい時間の長さである。正確な値はない。長さはどの月を指すかによって変わる。暦では 28 日から 31 日、天の月では 29.530589 日、契約ではきっかり三十日のこともある。この単位はSIに属さず、SIと併用してよい非SI単位の一覧にすら載っていない。
月だけで五つの月があり、どれも長さが違う。それぞれが別のものへの回帰を数えているからである。太陽へ(朔望月、満ち欠け)、同じ星へ(恒星月)、近地点へ(近点月)、軌道の交点へ(交点月)、春分点へ(分点月)。肉眼で見えるのは最初の一つだけで、あとは器械から読む — そしてどれもそれぞれの仕事に必要である。
最も長いのは朔望月であり、理由はこうである。月は 27.32 日で地球を回るが、その間に地球自身が軌道のおよそ十三分の一を進んでいる。太陽、地球、月がふたたび一直線に並ぶには、月はさらに二日あまり進む必要がある。これが満ち欠けの月であり、世界のどの暦もその上に築かれた。
暦を月から切り離さねばならなかったのは、単純な食い違いのためである。太陰月十二か月で 354 日、太陽年は 365 日。余る十一日は割り切れない。月が季節を渡っていくのを許すか、数年おきに十三番目の月を挟むか、月そのものを捨てるか。暦を持つ者は誰しも三つのうち一つを選ばねばならなかった。
右の台でその分かれ道を見られる:六十年先まで、四つの暦から選べる。
暦の九番目の月を取り、六十年でどこへ行くか見てみよう。青い線が季節、銅色の線が月の満ち欠けである。年のつまみを動かし、それぞれの暦が二本のうちどちらを保つと決めたのか — そしてその選択に何を払っているのかを見てほしい。
月は 27.32 日で天を一周する。しかしその間に地球も自分の軌道を進んでいるため、太陽が再び同じ位置に来るには、月はもう少し先まで進まねばならない。その分がおよそ二日あまり — だから目に見える月、新月から新月までの月は、星に対して測った月より長い。
02 · 換算
値を入力すると、このシートが換算します
月に接頭語は付かないが、それでも紛らわしさには事欠かない。「六か月」という期限は、いつ始まるかで日数が変わる。1月1日からなら 181 日、7月1日からなら 184 日になる。
三つ目の表は、契約と医療における月についてである。そこでは誰も天の月を思い出さない。一か月とは三十日、あるいは四週間、あるいは「翌月の同じ日付、その日付がなければ最終日」である。
二月が短いのは、アウグストゥスが自分の月のために一日を取り上げたからではない。その説は十三世紀のサクロボスコより前には現れず、ローマの史料にはそのような記述がまったくない。理由はもっと単純である。古い暦では年が二月で終わり、余分の日はまさにその末尾に挟まれた。二月は列の最後に立っていた — だから最も少なくなった。
| 注記 | |||
|---|---|---|---|
| {u} | {name} | {value} | {note} |
03 · 桁の並び
一度の新月からメトン周期まで04 · 測定器
新月を何で捉えたか
一晩ごとに一つ刻み目を入れ、満月の夜には別の印を付けた骨や棒。こうした刻み棒は、知られているかぎり最も古い計算の道具である — 文字より古く、農耕より古い。そこに記録されていたのは、月がかつて持っていた唯一の基準だった。空を指でさして示せるものである。
何世紀ものあいだ、書記たちは若い三日月がどの夕方に初めて見えたかを書き留めてきた。その記録から月の長さが得られ、そこからメトン周期が導かれた。十九年たてば月の満ち欠けが同じ日付に戻る、という周期である。観測が器械であり、記録がその記憶であった。
機械式時計の月齢表示。59 枚歯の歯車は 29.5 日の月ふたつ分であり、てこが一日に一枚ずつ送る。誤差は一か月におよそ 44 分 — 一世紀で一日半である。もっと精度を求めた者は 135 枚歯の歯車を切った。そちらは 122 年たってようやく一日ずれる。
今日、新月を観測する者はいない。数十年先まで秒の精度で計算される。天体暦は太陽と惑星の引力も、潮汐による減速も、軌道の歳差も勘定に入れる。月は今も測られている — ただ、もう目では測らないだけである。
05 · 表記の規則
mo、月、そして月のない日付
SIに月の記号はない。技術文書は mo と書き、日本語は「月」の一字、ロシア語は点なしの「мес」と書く。大文字のMはメガに取られ、mol はモルのものだから、mo をこれ以上縮めない方がよい。ISO 8601 の日付表記では月は真ん中の二桁であり、月のない日付は日付ではない。2026-15 は第十五週の意味であって、十五日ではない。
別の厄介は月の足し算である。「1月31日に一か月」には一つの答えがない。法は二月の最終日、すなわち2月28日と定める — そしてもう戻れない。2月28日から一か月引けば1月28日になるからである。この演算は逆にできず、それだけで月は長さの定まったあらゆる単位から切り離される。
06 · 隣り合う単位
月は週と年のあいだに立ち、両側の継ぎ目がどちらも歪んでいる。一か月には 4.35 週が入る。一年には 12 か月が入る — ただしそれは年を十二で割ったからであって、自然がそう告げているからではない。月が持つ唯一の正確な関係はグレゴリオ周期との関係である。4800 か月で 146 097 日。
月の 1/4.35
平均で 30.44 日
ちょうど十二か月
この十一日の上で世界の暦は分かれた。イスラム暦はそれを取り戻さないので、月が季節を渡っていく。ユダヤ暦と中国暦は十三番目の月を挟み、二本の線を同時に保つ。グレゴリオ暦は月を手放し、季節を取った。たった一つの算術上の事実に対する三つの答えである。
07 · 歴史の部
月はいかにして天の月から切り離されたか
最も古いローマ暦は十か月と 304 日から成り、冬の二か月にはそもそも名がなかった。その時間は数えられていなかったのである。名は算術より長生きした。september は実際に第七の月、october は第八であり、我々が付き合っているずれは、後から前に差し込まれた二か月の跡である。日本語ではそこで迷うことがない。一月、二月と番号がそのまま正しく、師走や弥生といった古い名の方が詩に退いた。
ヌマは年を 355 日に引き上げ、閏月メルケドニウスを設けた。これは神官団が自らの判断で宣言するもので、22 日か 23 日か、決め次第であった。年の長さが神官団に懸かっていたため、官職の任期も負債の期日も同じく彼らに懸かっていた。
暦は季節から三か月ずれていた。カエサルはそれを一撃で引き戻す。紀元前46年、その年には 445 日が与えられた。混乱の年として記憶された。翌年から月々は今日の長さになり、閏日は四年ごとに加えられるようになった。
アウグストゥスが、自分の月がカエサルの月より短くならないように二月から一日取ったという話は、出来事の十二世紀後、1235年にサクロボスコが考え出したものである。よくできていて覚えやすく、教科書の半分に載っている。ローマの史料はそれについて一言も述べていない。
測っていたものを捨てた単位
週にはもともと自然の根拠がなかった。月にはあった — そしてそこから離れていった。天の月は変わらずあり、満ち欠けも昔のままだが、その名を負う単位はとうに数えるのをやめている。あらゆる測定単位のうち、まさに自分が作られた理由そのものを捨てたのは、これ一つだけである。
そもそも天の月の月そのものも一定ではない。太陽と惑星がわずかに横へ引き、潮汐が地球を減速させ、値は一世紀あたり百分の一秒ほどずれていく。五十年で太陰月はおよそ 0.02 s 長くなる。暦にとっては何でもないが、食の予報にとっては持ち歩かねばならない補正である。
カタログ · 測定単位
それぞれの量に一つの要覧
SI 基本単位が七つ、固有の名を持つ組立単位が二十二、そして技術も暦も成り立たない体系外の量。